充実と怠惰のあいだ

充実と怠惰のあいだ

怠惰と戦いながら充実を目指すが、やっぱり怠惰つええ。。。

「明日やろう」は馬鹿野郎

『一日延ばしの癖は、一昨日するべきだったことを
  明後日にまで引き延ばしてしまうという悪い習慣です。』


 成功を目指す者にとって最も危険で有害な習慣は、
 恐らく“一日延ばしの癖”です。
 なぜなら、あなたのイニシアティヴを奪い取ってしまうからです。

 一度何かを引き延ばしてしまったら、再び引き延ばすのは簡単で、
 ついにはその習慣が定着してしまい、逆にその習慣から抜け出すのが
 難しくなってしまいます。
 また悪い事に、引き延ばしの習慣がもたらす悪影響も積み重なってい
 くでしょう。

 この習慣の治療法ははっきりしています。

 行動することです。

 とにかく何かを始めたなら、すぐさま気分が良くなることに、自分で
 も驚くことでしょう。

 かつてイギリスの首相であり、
 作家であったベンジャミン・ディズレーリ[訳注1]はこう述べてい
 ます。「行動が常に幸せをもたらすとは限らないが、行動なくして幸
 せはあり得ない。」


 [訳注1]ベンジャミン・ディズレーリ(1804-1881)
 イギリスの政治家・小説家。ロンドンでユダヤ系商人の子として生ま
 れる。1837年、政界に入り、トーリー党首となった。1852年
 以降、蔵相を3度務める。1874年、首相となりスエズ運河会社の
 株を買収し、ベルリン会議でロシアの南下を阻止するなど帝国主義
 策を推進した。

 

賢い人とは。

『賢明であることとは、自分が何を望んでいるかだけでなく、
  自分が何を望んでいないかについてもわかっていることです。』


 目標には、他の誰でもなくあなたにとって最も重要であり、価値をも
 たらすものを設定しなくてはなりません。特に若いうちは、自分が好
 きなことや得意なことが何であるのかを知るために、試行を重ねるこ
 とが必要でしょう。

 仕事上の目標や経済的な目標は、例えば“自分にとって大切な人と良
 い関係を保つこと”というような自己の目標とバランスがとれていな
 ければいけません。
 また、あなたの人生計画には、単にそれをすることが楽しいからする
 といったような、楽しみのある目標も含みましょう。

 幸せで、幅広く豊かな才能のある人間になるためには、精神的な成長
 も不可欠です。人間として成長する上で重要なすべての段階に、必ず
 十分な時間を割きましょう

自分の考え方でしか生きられない

このことも言われてみれば当然過ぎるくらい当然のことなのですが、実生活や苦しんでいるときには忘れてしまうものだと言えます。 だから色々な軋轢や誤解が生じ、問題の解決が難しくなってしまうのです。

  分かりやすい例を引けば、他人の視線が気になって仕方がない、あるいは他人が恐ろしくて仕方がないということがあります。 自分がなにをしていても相手に見つめられているような気がする、なにか噂をされているように思ってしまうと言うことがあります。 確かにそれなりの理由のあることもあるでしょうが、多くの場合はその人の思い込みに起因することが多いように思われます。 自分が注視されていると思い込んでいるから、なにをしてもそのようにしか思えなくなってしまうのです。 実際には、他の人は自分が考えるほどは自分のことを気にしていないものなのです。

  そうは言われても自分が思い込んでいる以上、「他人はそんなにあなたのことを気にしていないよ」と言っても無駄なことです。 人間は自分の考え方でしかものごとは考えられないからです。 考え方を変えられるようになるには、色々なことを経験して社会や人間や自分を知る以外に道はないと思います。 多くのものの見方や考え方を経験することで、自分の考え方を見直すことが必要なのです。 それなにの自分の殻に閉じこもっているからなにも変えることができなくて、結局はなにも変わらなくなるのです。 そして自分を信じられなくなり、自信をなくしていくのです。



  謙虚な気持ちで社会や人間を見つめていれば、自分の考えは必ず変わるのです。 もともとそんなに自分がしっかりしている人はいないのですから。 いまはしっかりしている人も、昔はだめ人間だったのかも知れません。 大人の昔話を聞いてみれば、分かってもらえるのではないでしょうか。 そのためには現実と対決することを避けてはいけないのです。 現実を直視することを避けているから、なにも変えることができなくなるのです。 

  自分の考え方でしかものごとを見ることができないのであれば、自分の考え方そのものを確固たるものにすることがなによりも重要なことです。

  相手が自分を「このように見ているはずだ」と思っても、それは多くの場合自分ひとりの思い込みであったり、考えすぎであることも多いのです。 本当のところは相手に聞いてみなければ分からないことなのです。 自分の思い違いで社会や相手を恨んでいるとしたら、悲劇としか言いようがありません。社会や相手をみるためには、自分を磨かなければならないのです。 人間は自分の考え方でしかものごとを見られないからこそ、自分の考え方を明確に持たなければならないのです。 そのためには努力するしかないのです。

  自分だけがものごとの判断基準なのですから、自分をしっかりと見つめることが大切なのです。 自分が苦しまないためにも、他の人の意見を聞くことも重要なのです。

  自分の考え方で生きることが自分を幸せにしてくれるのに、常識の波にのまれて生きてしまうから生きることがますます苦しくなるのだと思います。

経験が人をつくる


  経験が人をつくるとは、人間は経験すること(なにかすること)によって人間や社会を知り、そのことによって人格が形成されるということです。 人間は社会的な存在であり毎日毎日が社会と関わることによって生きています。 一日たりとも、社会との接触なしには生きてはいけないのです。 社会と接触するということは、言葉を換えれば毎日なにかを経験するということです。 顔を洗うとか、歯を磨くと言ったように毎日同じことを経験することもあるし、また仕事でまったく経験したことのないことにぶつかるかも知れないし、私生活においても思いもかけない人に出会うことがあるかも知れませんが、それらのすべてが経験です。 そしてそれが現実を形作っているのです。 

  経験するとはひとつの状況や局面と向き合うことであって、その経験を通してのみ人間は人格を磨き、あらたな能力を身につけ、人間として成長していくのだと言えます。 私たちは経験したこともないことは、いくら説明されても観念的には理解できても、身を以て実感することはできないのです。 この意味では、経験こそが人間をつくりあげてくれるのです。 経験こそが、人生のすべてなのです。

  面倒くさいとか、怖いからといって逃げ回ってばかりいる人は、いくつになっても人間的な成長は望めません。 なぜなら経験することを避けているからです。 自分ではなにも決断せずに、人に指示されたことを指示されたとおりにすることは、あまり責任を伴わないので精神的には楽ですが、決断することや指示することを経験していないので、いつまでたっても一人ではなにもできなくなるのです。 自分の身の回りを見渡してみると、現実から逃げている人や積極的にものごとに取り組まない人、あるいは他人に依存している人のほとんどは、決断力や思考の方法が幼稚であり、社会的にも責任のある地位にいる人はほとんどいないと言えます。 社会的地位の高い人が、人格的に優れていると言っているのではありません。 誤解のないように。 社会的地位の高い人や、他人に信頼される人はそれだけよくも悪くも人生経験が豊富なので(それだけ努力したので)、その地位につくことができたのです。  このように人生を逃げている人は、だれからも信頼されず笑いものになるだけでしょう。



  重要なことは、若いときから現実から逃げないで現実を真正面から見据えて、真剣に取り組むことしかないのです。 その連続しかないのです。 その連続こそが、その人の人柄(人となり)を決定するのです。  そのときはつらく苦しいはずですが、その苦労は必ず報われます。 経験と場数を踏むこと、これが大切です。  そしてそこから自分なりの人生観を導き出せばいいのです。 「若いときの苦労は買ってでもしろ」とか、「かわいい子には旅をさせろ」と言いますが、まさにその通りです。 若いときになにも苦労を知らないで育つと、年をとってから苦労をしなければなりません。 そのときの苦労は若いときの苦労に比べて、数段に大きくなっているはずです。 人間は生きている間のどこかで帳尻を合わせるようにできているようです。 どうせ苦労をしなければならないなら、若いときに苦労をしておけば、後の人生が楽になります。 逃げ回っても、いつかは捕まるはずです。



  人生はいろいろの経験を積み重ねることによって、生きることが楽になるのです。 経験を逃げては、楽に生きることは望めないのです。 逆説的ですが、人生はそのようになっているとしか言いようがありません。 嘘だと思うなら、あなたの周りを見れば理解できると思います。 経験を積み重ねることによってなにが分かるかと言えば

人の真心が分かる
喜怒哀楽が分かる
人を信じられるようになる
   ・信じられなくなる人は考え方が間違っていると思いますが、いかがでしょうか
思いやりができる
お金や人情のありがたみが分かる
苦労・悩みや失敗の本当の意味が分かる
社会の仕組みが分かる
自信がつく
決断力がつく
人間関係が豊かになる
知識が知恵に変化する
最大の収穫は人間というものが分かる
そのほかはこの世の中のすべてのできごとの意味が分かる
個人主義が理解できる


   経験することを拒否する人の得るものは

なにも信じられなくなる
だれにも信頼されなくなる
自分勝手な人間になる
自分に自信がないので、いつも周囲を気にしておどおどした生活をするようになる
   心の安らぐ場所がどこにもなくなる
自分がなにも知らないことを隠すために、うそで固めた人生を送るようになる
責任のあることを指示されても、自分ではできないのでだれかを頼った生き方をしなければならない
結果として、自分の人生を他人に預けてしまうことになり、精神的には自分の存在がなくなる
利己主義にならざるを得ない
  
 と、こう書いたら言い過ぎでしょうか。 決して言い過ぎとは思わないのですが、みなさんはどう思われますか。

  人生は経験がすべてです。 現実から逃げれば逃げるほど、生きることが苦しくなるだけです。 逃げるから、結果的に問題の方がついてくることになるのです。 そのときは苦しくても現実と対決することが、あとの生き方を必ず楽にしてくれます。 必ずです。 このことを理解できない人は、身をもって経験することになるはずです。

  経験が人格を決定するということは、人生にとってマイナスなことばかり(悪いこと、消極的なこと)を経験すると自分もそうなってしまうことですから、どんなことを体験しようとするかが非常に大切になります。 人生にとってプラスになることを経験するように努力すれば、自分もそれなりの人間になれる確率が高くると思います。

まあとりあえず、
なんかやれ、ということです。

無駄だったと思うことをどう理解するかが、人生のすべてを決める

 生きていく限りは、人生にマイナスなこと(すぐ下に書いてあること)を避けることはできません。 避けることができないことを避けようとするから、生きることがますます苦しくなってしまうことは、他のページに書いてありますのでぜひ読んでください。 

失望
挫折
絶望
不安
恨み
失敗
人間不信
後悔
迷い
現実逃避
誤解
裏切り
劣等感
  期待が大きければ大きいほど、相手を信頼していれば信頼しているほど、失敗したときや裏切られたときの挫折感や不信感が大きくなります。 そして短絡的に社会や相手を恨んで、世をすねてみたり、最悪の場合は自殺することによって相手に抗議の意志を示す人も、決して少なくないのです。



  人生では避けることのできないこのようなことを、どのように理解すれば生きることが少しでも楽になるのでしょうか。 または、どんなことをしても生きることは楽にならないのでしょうか。 これこそが人生の最大の問題だと思います。 このことさえ解決できれば、あるいは解決できなくても対処の方法さえ分かっていれば、人生の意味は大きく変わってくるはずだと確信しています。

  この世の中には、なぜ生きていくうえでつらいことや苦しいことが多すぎるのでしょうか。 なぜそれらのことを避けて生きることができないのでしょうか。 これは宗教の根本命題でもあるはずです。 お釈迦様は、このことから出発して悟りを開くにいたったと聞いています。 このことに関しては、「この世の中のことは、すべてが相対的だ」を読み直してください。 私たちは失敗したとき、挫折したとき、劣等感に陥ったとき、恨みを抱いてしまったときに、単純に責任転嫁をすれば問題が解決し、感情が解き放されるのでしょうか。 決してそんなことにはならないことは、みなさんは体験的に知っているはずです。 それこそ、身にしみて体で分かっているはずです。

  つらいとき、苦しいときに前向きに生きるためには、これらのことを一体どう考えるべきなのでしょうか。 私にはたったひとつの考え方しか、思い浮かばないのです。

  その挫折や絶望や劣等感が、自分になにかを教えるためにもたらされたという考え方です。 自分になにかが欠けていたために、自分は失敗したのだ、自分の言い方が悪かったために誤解を招いたのだ、と考えることです。 たとえばだれかに騙されたとすれば、自分に人間を見抜く力がなかったから騙されたのです。 きつい言い方なのですが。 そう考えれば責任転嫁のしようはないのです。 多くの場合責任転嫁をしてしまいがちですが、それではなにも解決しないのです。 かえって相手や社会に対して、恨みつらみを深くするだけです。 「原因は自分にあったのだ」と、自分を反省することが必要なのです。 こう言うと、それでは「自分を責めていることになるではないか」と言われるでしょうが、反省することは自分を責めることではないのです。 

  「反省する」とは、失敗の原因を明らかにして二度とは言わないまでも、同じ失敗を繰り返さないようにすることです。 「責める」とは、原因を明らかにしないまま自分に一方的に非があったとすることです。 自分を責めることにより、本来は相手の負うべき責任までも自分が負うことにもなり、生きることがますます苦しくなってしまいます。 反省することからはよりよい解決法が生まれますが、責めることから生まれるものは自責の念だけであり、ひいては自分を否定することです。 だから自分を責めることは、良くないことなのです。 どんな場合にも、自分を責めることは自分を否定することですから、生きることをも否定的に見ることになります。

  反省することによってのみ、いかなる失敗も、挫折も、人間不信も、誤解も、そのほかのすべてのことが、これから生きていくうえでの経験となり、勉強となるのです。 「失敗は成功のもと」とも言います。 だから一見人生にとってマイナスに見えることが、人間を育ててくれるのです。 自分になにかが欠けていたから失敗したのだということを、気づかせるために失敗はあるのです。 そのほかのマイナスなことも、存在理由は同じです。 こう考えれば、苦しさやつらさにも耐えることができると思います。

  意外なことですが成功からは、学ぶものが少ないように思います。 成功からは自慢や傲慢さが生まれがちなのです。 失敗がもととなった成功からは、学べるものが多いと言えます。 その場合成功によって学んだと言うよりは、やはり失敗から学んでいることが多いのです。

  生きる喜びは、苦しさやつらさを乗り越えたところにしか感じられないのです。 つらさや苦しさの初期の段階であきらめてしまうから、すべてが絶望感に覆われてしまうのです。 すべてが虚しくなってしまうのです。 すべてに生きる価値を見いだせなくなってしまうのです。 社会や他のひとのすべてが、自分を責めているように見えてしまうのです。 もっと忍耐が必要なのです。 忍耐のないところには、虚しさだけが広がっています。

  苦しみのさなかにある人に、「挫折や失敗はあなたを大きくしてくれるためにあるのですよ」と言っても、決して相手には分かってもらえないと思います。 以上のようなことは、人生を振り返ったときにはじめて納得できることですから。 私はそう思います。 

  人生に無駄があるのか、ないのかは、ひとりひとりの考え方によって違ってきます。 短絡的に相手を恨んだり、責任転嫁をするような人にとっては、失敗は本当に失敗でしかありません。 しかし失敗を反省材料にできる人にとっては、人生には無駄はないのです。 すべての経験が、その人を育ててくれるのですから。 過去を清算できなくて苦しみを引きずっている人は、過去のできごとを恨んでばかりいて、反省材料にしていないのではないかと考え直して欲しいと思います。

  「人生において「無駄だった」と思うことを、考え方を変えることによって特効薬にもすることもできるし、麻薬のようなものにもすることができるのです。 すべてはひとりひとりの考え方ひとつで、決まることです。

  人生には「無駄だった」と思えることが多すぎるのです。 それを本当に無駄と考えてしまえば、人生は苦しみ以外のなにものでもなくなります。 過去は自分にとって「無駄だった」と思えば、社会や相手を恨んでもなんの不思議もありません。

 「無駄だった」と思うことをどう理解するか、ここに生きるヒントが隠されているのではないでしょうか。

失敗は自分の欠点を教えてくれる

私は酒の席で大きな失敗をしたことがあります。 

 

後になってみると、自分でもどうしてあんなことを言ったのか分からなくなっています。

事実を分かろうと分かるまいと、酒の席で失敗したことには変わりがありません。 

 

私は「失敗こそが人を育ててくれる」と書きましたが、

言葉を変えれば「失敗は自分の欠点や短所を教えてくれる」ことに他ならないのです。 

 

失敗することが恐ろしいとか、恥ずかしいと言うこともありますが、

失敗を恐れる大きな理由のひとつは自分でも目をそらしている自分の欠点を見ざるを得なくなるからではないでしょうか。

 

 

  自分のいたらなさを知ることは、だれにとっても嫌なことです。 

 

なぜなら、

自分の能力のなさを他人に知られるから恐ろしい、恥ずかしい


日頃自分の言っていることとは異なることをしたから、

世間に合わせる顔がなく恥ずかしい 

 

自分の価値が下がるから恐ろしい

 

自分のいやな面を見ずにはいられないからつらい

 

他人に笑われるから恥ずかしい

 

自分でも気づかなかった自分に気づかざるを得ないから恐ろしい

 

 

  失敗することによって自分でも見たくない自分の一面を見ることに耐えられなければ、なにもできなくなって当然です。 

 

「失敗が恐ろしくてなにもできない」ということには、このような理由があるのだ思っています。 

 

自分の嫌な面を知ることを拒否し続けるかぎり、なにもできなくなっていくのです。 

 

そしてますます自分を嫌いになり、自信を失ってしまうのです。 

 

自分の欠点から目をそらしているかぎり、人間は成長できなくなるのです。

 

 

  この失敗の中には自分では重大なことだと思っていても、それほどではないこともあるし、逆に大したことがないと思っていても他の人から見れば重大なこともあるのです。 

多くは後者に含まれると思いますが。 



  結局は失敗をどのように考えるかによって、人生はどのようにでも変わるということです。 

  失敗はあってはならないものだと考えればなにもできなくなり、自信を失い、自分を嫌いなってしまいます。 そして責任を自分以外に転嫁して社会や相手を恨んで生きるようになります。 

  逆に失敗は自分の欠点を教えてくれると考えれば、そこには反省や努力があり、自分を成長させることにもなります。

  失敗したときはどうしても相手や社会を恨みがちになりますが、一時的にはそうなっても冷静になれたときには失敗の原因を自分のなかに求める態度が必要だと思います。 これは自分を責めることではなくて、反省することです。 反省からは責任転嫁は生まれてこないと思います。 反省から生まれるものは「謙虚さ」だと思います。 私は失敗は人生のつまずきの石になるためにあるのではなくて、自分でも知らない自分を気づかせてくれるためにあるのだと信じたいのです。 失敗から逃げるのではなくて、失敗を失敗として認め自分の人生に活かすことによって、失敗は成功に変わるのだと言えます。 



  でも「失敗が自分の欠点を教えてくれる」ということは、本当につらいことですね。 できることなら目を背けたくなってしまいます。 だから、この次に同じ失敗をしないように失敗から学ぶことが多いのだと言えるでしょう。 この意味では「失敗は最大の成功」とも言えるのですから、ぜひそう言えるようにしたいものです。

  失敗は人生の偉大な教師なのですね。 

  失敗が自分の欠点を教えてくれているのに、相手や社会を恨むという「お門違い」なことをしてしまうから、失敗からなにも学べなくなり恨みだけを抱いてしまうのではないでしょうか。

変? それとも違うだけ?

 

0:11
アメリカで道に立っていたとしましょう そこへ日本人がやってきて質問をします
0:18
「すいません この区画は何という名前ですか?」
0:20
「何? ああ こっちがオーク通りで あっちがエルム通り これが26番通りで 向こうが27番通りです」
0:26
「それで この区画の名前は?」
0:28
「区画に名前なんてないですよ 名前は道についていて 道の間にある名前のない部分が区画です」
0:35
彼は頭を混乱させ がっかりしながら歩き去るでしょう
0:39
今度は逆に日本のどこかの道に立っていて 誰か近くにいる人に聞いたとしましょう
0:44
「すいません この道は何という名前でしょう?」
0:46
「はい 向こうが17番地で こっちが16番地です」
0:50
「じゃなくて この道の名前を知りたいんですが?」
0:53
「道の名前なんてありませんよ 名前は区画についています Google Mapsを見てください これが14番 15番 16番 17番 18番 19番地です 区画にはみんな名前があります 区画の間の名前のない部分が道です」
1:07
「それだと家の住所はどうやってわかるんですか?」と聞くと
1:10
「簡単ですよ ここが8丁目でしょ その17番地の 1号の家です」
1:16
「少し歩き回ってみたけど 家の番地が順番になってませんでしたよ」
1:20
「そりゃそうです 建てられた順に番号は付きますから この区画で最初に建った家が1号になります 2番目に建てられたのが2号 3番目の家が3号 簡単です わかりきったことでしょう?」
1:31
これだから私は時々地球の反対側を 訪れるのが好きなんです 自分たちが意識せずに仮定していることや その逆だって正しいものでありうることに 気付かせてくれます
1:41
たとえば中国の医者は 人を健康に保つことが仕事と考えられています だから健康なら医者にお金を払います 病気になったらお金は取られません 医者は病気でなく健康で儲けるんです (拍手)
1:55
私たちは音楽で「1」を ダウンビート 音楽の初めに使います 1 - 2 - 3 - 4 しかし西アフリカの音楽では 「1」はフレーズの終わりです 文章の終わりのピリオドのようなものです フレーズの中ではなく 区切りとして聞くのです 2 - 3 - 4 - 1
2:12
そして これもまた正確な地図なのです (笑)
2:17
「何であれ正しいことの逆はまた正しい」という言葉が インドにはあります だからTEDやその他の場所で 素晴らしいアイデアを耳にしたら 思い出してください その逆もまた正しいかもしれないと ドウモ アリガトウ ゴザイマシタ

 

 

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の新しいプロジェクトであるMuckWorkを通して、Derek Siversは創造的な人々の負担(および退屈)を軽減したい. Full bio