充実と怠惰のあいだ

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充実と怠惰のあいだ

怠惰と戦いながら充実を目指すが、やっぱり怠惰つええ。。。

無駄だったと思うことをどう理解するかが、人生のすべてを決める

成長

 生きていく限りは、人生にマイナスなこと(すぐ下に書いてあること)を避けることはできません。 避けることができないことを避けようとするから、生きることがますます苦しくなってしまうことは、他のページに書いてありますのでぜひ読んでください。 

失望
挫折
絶望
不安
恨み
失敗
人間不信
後悔
迷い
現実逃避
誤解
裏切り
劣等感
  期待が大きければ大きいほど、相手を信頼していれば信頼しているほど、失敗したときや裏切られたときの挫折感や不信感が大きくなります。 そして短絡的に社会や相手を恨んで、世をすねてみたり、最悪の場合は自殺することによって相手に抗議の意志を示す人も、決して少なくないのです。



  人生では避けることのできないこのようなことを、どのように理解すれば生きることが少しでも楽になるのでしょうか。 または、どんなことをしても生きることは楽にならないのでしょうか。 これこそが人生の最大の問題だと思います。 このことさえ解決できれば、あるいは解決できなくても対処の方法さえ分かっていれば、人生の意味は大きく変わってくるはずだと確信しています。

  この世の中には、なぜ生きていくうえでつらいことや苦しいことが多すぎるのでしょうか。 なぜそれらのことを避けて生きることができないのでしょうか。 これは宗教の根本命題でもあるはずです。 お釈迦様は、このことから出発して悟りを開くにいたったと聞いています。 このことに関しては、「この世の中のことは、すべてが相対的だ」を読み直してください。 私たちは失敗したとき、挫折したとき、劣等感に陥ったとき、恨みを抱いてしまったときに、単純に責任転嫁をすれば問題が解決し、感情が解き放されるのでしょうか。 決してそんなことにはならないことは、みなさんは体験的に知っているはずです。 それこそ、身にしみて体で分かっているはずです。

  つらいとき、苦しいときに前向きに生きるためには、これらのことを一体どう考えるべきなのでしょうか。 私にはたったひとつの考え方しか、思い浮かばないのです。

  その挫折や絶望や劣等感が、自分になにかを教えるためにもたらされたという考え方です。 自分になにかが欠けていたために、自分は失敗したのだ、自分の言い方が悪かったために誤解を招いたのだ、と考えることです。 たとえばだれかに騙されたとすれば、自分に人間を見抜く力がなかったから騙されたのです。 きつい言い方なのですが。 そう考えれば責任転嫁のしようはないのです。 多くの場合責任転嫁をしてしまいがちですが、それではなにも解決しないのです。 かえって相手や社会に対して、恨みつらみを深くするだけです。 「原因は自分にあったのだ」と、自分を反省することが必要なのです。 こう言うと、それでは「自分を責めていることになるではないか」と言われるでしょうが、反省することは自分を責めることではないのです。 

  「反省する」とは、失敗の原因を明らかにして二度とは言わないまでも、同じ失敗を繰り返さないようにすることです。 「責める」とは、原因を明らかにしないまま自分に一方的に非があったとすることです。 自分を責めることにより、本来は相手の負うべき責任までも自分が負うことにもなり、生きることがますます苦しくなってしまいます。 反省することからはよりよい解決法が生まれますが、責めることから生まれるものは自責の念だけであり、ひいては自分を否定することです。 だから自分を責めることは、良くないことなのです。 どんな場合にも、自分を責めることは自分を否定することですから、生きることをも否定的に見ることになります。

  反省することによってのみ、いかなる失敗も、挫折も、人間不信も、誤解も、そのほかのすべてのことが、これから生きていくうえでの経験となり、勉強となるのです。 「失敗は成功のもと」とも言います。 だから一見人生にとってマイナスに見えることが、人間を育ててくれるのです。 自分になにかが欠けていたから失敗したのだということを、気づかせるために失敗はあるのです。 そのほかのマイナスなことも、存在理由は同じです。 こう考えれば、苦しさやつらさにも耐えることができると思います。

  意外なことですが成功からは、学ぶものが少ないように思います。 成功からは自慢や傲慢さが生まれがちなのです。 失敗がもととなった成功からは、学べるものが多いと言えます。 その場合成功によって学んだと言うよりは、やはり失敗から学んでいることが多いのです。

  生きる喜びは、苦しさやつらさを乗り越えたところにしか感じられないのです。 つらさや苦しさの初期の段階であきらめてしまうから、すべてが絶望感に覆われてしまうのです。 すべてが虚しくなってしまうのです。 すべてに生きる価値を見いだせなくなってしまうのです。 社会や他のひとのすべてが、自分を責めているように見えてしまうのです。 もっと忍耐が必要なのです。 忍耐のないところには、虚しさだけが広がっています。

  苦しみのさなかにある人に、「挫折や失敗はあなたを大きくしてくれるためにあるのですよ」と言っても、決して相手には分かってもらえないと思います。 以上のようなことは、人生を振り返ったときにはじめて納得できることですから。 私はそう思います。 

  人生に無駄があるのか、ないのかは、ひとりひとりの考え方によって違ってきます。 短絡的に相手を恨んだり、責任転嫁をするような人にとっては、失敗は本当に失敗でしかありません。 しかし失敗を反省材料にできる人にとっては、人生には無駄はないのです。 すべての経験が、その人を育ててくれるのですから。 過去を清算できなくて苦しみを引きずっている人は、過去のできごとを恨んでばかりいて、反省材料にしていないのではないかと考え直して欲しいと思います。

  「人生において「無駄だった」と思うことを、考え方を変えることによって特効薬にもすることもできるし、麻薬のようなものにもすることができるのです。 すべてはひとりひとりの考え方ひとつで、決まることです。

  人生には「無駄だった」と思えることが多すぎるのです。 それを本当に無駄と考えてしまえば、人生は苦しみ以外のなにものでもなくなります。 過去は自分にとって「無駄だった」と思えば、社会や相手を恨んでもなんの不思議もありません。

 「無駄だった」と思うことをどう理解するか、ここに生きるヒントが隠されているのではないでしょうか。