頼んでみよう
相手が「○○してくれない」「××するのがイヤ」などと不満を感じた時、不満を抱えたままイライラして過ごすよりも、相手に「頼んでみよう」と考えてみてはどうでしょうか。
「○○してほしい」「××はやめてほしい」ということを頼んでみて、相手がそのようにしてくれれば、不満はすぐに解消できます。
自分からうまく一言頼めるだけで、どれだけ不満を感じてイライラする時間が減るでしょうか?
その際に大事なのがその言い方やタイミングでしょう。
自分が人から何かを頼まれた時のことを考えれば、言い方やタイミングが対応を左右することがあるとわかるのではないでしょうか。
たとえば、「○○して(しろ)」と言われるよりも、「○○してくれたら、うれしいな」「○○してくれると助かる(ありがたい)んだけど」などと言われたほうがなんとなく引き受けたくなるような気がします。
また、「頼む」というよりも「お願いする」形がいいようです。
相手の機嫌をうかがってうまくお願いができたらいいでしょう。
「相手がやって当然」「言わなくたってやれよ」「何度も同じことを言わせるな」「なんで自分から頼まなくちゃいけないんだ」のような(心の中の)思いが、自分から言えない・頼めない(隠れた)理由かもしれません。
意地とか面子とか駆け引きなんかのために、不満タラタラ過ごすのはもったいないのではないでしょうか。
また、世の中には何度言っても忘れてしまう人、言わないとやってくれない人もいます。そういう人には何度でも頼めばいいでしょう。ひと言お願いすればやってくれる人だったら、まだいいほうかもしれません。
最初から頼んでもムダだと決めつけているのではないか?
今まで、頼んでもダメだったのは、頼み方がまずかったのではないか?
と考え直してみると、「頼んでみよう」と思えるかもしれません。
相手にしてほしいことがあるのなら、うまくお願いする方法を考えてみてはどうでしょうか。
してくれないのは当たり前
「(誰かが)○○してくれない」とイライラしてしまうことがあります。
イライラの元は大半が、求めていることが与えられなかった時に生まれます。
頼んだことをしてくれない、
やるべきことをやってくれない、
認めてくれない、
信じてくれない、
ほめてくれない、
誘ってくれない、
ありがとうと言ってくれない、
話を聞いてくれない、
やさしくしてくれない、・・・。
そんな時、「してくれないのは当たり前」と考えることができれば、そんなにイライラしないでもすむのではないでしょうか。
自分に関係ない人が何かをしてくれないのは当たり前と思えるでしょう。
なのに、自分が何かを求めている人がしてくれないとイライラしてしまうのはなぜでしょうか。
その人に多くを求め過ぎるのか、「してほしい」という気もちが強過ぎるのか、「してくれるのが当たり前」と思っているのか、単に自分がわがままなのか。
それともなければ、本当に相手がひどいのか。
と言っても、つきあっているからにはどこかにメリットがあるはずです。
メリットがなければ、不満があったらつきあうのをやめてもいいわけです。
どんなメリットにしろ、どうせつきあうのなら、「○○してくれない」とイライラするよりも「してくれないのは当たり前」と考えてしまったほうがいいのではないでしょうか。
ところで、あなたはまわりの人が望むことをどのくらいしようとしていますか?
それを考えれば、自分が望むことを人がしてくれないのは当たり前だと考えやすいかもしれません。
人はそれぞれの理由・事情・習慣・考えなどで行動していますから。基本的には自分のために。
「人が自分に何かをしてくれないのは当たり前」と考えることができれば、
逆に人が自分に何かをしてくれた時に、よりうれしかったり、ありがたかったり、人のやさしさを感じられたりするのではないでしょうか。
「○○してくれない」と人にイライラしてしまった時には、
まずは「してくれないのは当たり前」と考えることで、心を落ちつけてからその後の対応を考えてみてはいかがでしょうか。
人のポリシーを尊重する
人はそれぞれ生きています。
それぞれ自分なりの動機で行動しています。
それぞれいろんな価値観をもってます。
それぞれいろんな経験をして今に至っています。
それぞれ自分の生き方を選択しています。
みんなが自分が主役の人生を送っています。
それぞれの人生の中で他の人と出会い、いろんな関係をもち、様々な共通の経験をします。
自分の人生はめぐり会う人々によって大きく変わるものだとは思いますが、あまりにも人に左右される生き方では自分(が主役)の人生としてはどうかと思います。
人に影響されずきない生き方・考え方ができたら、と思います。
やはり、それには「人は人、自分は自分」と心から思えるようになれたら、と思います。
「あなたはそのままでいい(OK/好好)。私もこのままでいい(OK/好好)」
という感じだといいのではないでしょうか。
「この人にはこの人の□□(考え方/やり方/生き方など)がある。(自分にも自分の□□がある)」
そう思えるためには、
「人は人(でいい)」と考える心がけと、
「自分は自分(でいい)」と思えるように心がけて生きていくことではないかと思います。
みんな違ってみんな良い
人の意見や考え方や何かのやり方や習慣などが、気に入らない/嫌い/理解できない/許せないなどと思い、イヤな気もちになってしまうことがあります。
人に対してイライラしやすかったり、人の好き嫌いが激しい人は、「人は人(でいい)」と思えないからではないでしょうか。
たとえば、「人には人の意見がある、自分には自分の意見がある、違ってもいい」のではないでしょうか。
人に違いがあるのは当たり前です。
何かのやり方の違い、考え方の違い、習慣の違い、価値観の違い、生き方の違い、・・・。
違いがあるからと言って、イヤな気もちになっていたらキリがありません。
個性の違いを認められることが大切なのだと思います。
人の個性を尊重できると、自分の個性も尊重できるのではないでしょうか。
弱い所・苦手なことがある人を受け入れられれば、自分に弱い所や苦手があっても受け入れられるでしょう。
たとえば、人づきあいがうまくない人がいてもいいと思えれば、自分が無口で人見知りでもいいと思えるでしょう。要領が悪い人がいてもいいと思えるようになると、自分が要領が悪いことがあってもいいのではないかと思えます。
誰でも自分を否定されたりバカにされたくはありません。
自分(の気もちや考えや・・・や存在、すべて)を尊重してほしいのです。
人の個性を尊重できるようになれたら、と思います。
イライラ対処法 「こんな人もいる」と考える
人が自分に何かをしたり言ったりしてイライラした時、「こんな人もいる」と心の中で言ってみてください。
たとえば、人から頭にくる一言を浴びせられた時、「どうして自分がこんなことを言われなければいけないんだ」「信じられない」「なんだこの人は」「許せない」のような思いがあると、怒りや悲しみが強くなり、自分をコントロールするのが難しくなってしまいます。
そんな時、「こんな人もいる」と考える(心の中で言う)ことが、自分を取り戻す第一歩になります。
ふだんは悪い人ではない場合には、「(この人にも)こういうことはある」と考えればいいでしょう。
「なんだこの人は」と思うのと「こんな人もいる」「こういうこともある」と思うのでは、感じ方がずいぶん違います。そういう人に対してどう接したらいいかも考えやすくなるでしょう。
世の中にはいろんな人がいます。無神経な人、マナーが悪い人、口が悪い人、思いやりのない人、意地悪な人、・・・。
「世の中にはイヤな人もいる」というのは事実なのです。
「許せない」という気もちはよくわかります。許す必要はありません。でも、「こういう人もいる」という事実・現実にさからってもしかたがありません。それを受け入れることは自分(の心の平穏)のためです。
イライラした相手が一時的な関わりの人や通りすがりの人だとしたら、そんなどうでもいい人のためにイライラするのはもったいないのではないでしょうか。
「世の中にはこんな人もいる」と考えて軽く済ましたほうがいいでしょう。
自分が生活する中で必然的に接しなければならない相手の場合には、「この人はこういう人」ということをわかった上で、それなりにつきあえばいいでしょう。
歳とか立場とかは関係ありません。むしろ目上の人の場合に、やっかいなことが多いような気がします。
性格の悪い人もいるし、自分とは合わない人もいます。そういう人に対して「こうあるべきだ」というような思いがあるから、イライラしてしまうのではないでしょうか。自分がその人を変えることは極めて困難です。
人が変わることを期待するよりも、その人に対する自分の考え方を変えたほうがいいのではないでしょうか。
「こんな人もいる」と考えてしまったほうが容易だし、ラクだと思うのです。
「こんな人もいる」という考え方を一度身につければ、多くの相手に使えてイライラしないために役立ちます。「世の中にはイヤな人もいっぱいいる」のですから。(いい人はもっといっぱいいることもお忘れなく)
ハッピーを振り返ること
「幸せだなぁ」と思うことが習慣になれば
幸せになれるでしょう。
いいことがあった時、何かを手にいれた時などには、
「いいなぁ」「よかった」「うれしい」などと
素直に思えると、それなりに幸せな気もちになれるでしょう。
続けて、「幸せだなぁ」と思えると、
幸福感がより確かに感じられます。
「ありがたいなぁ」「○○のおかげ」などと
感謝することでも、幸福感が高まります。
また、自分がもっている幸せを知り、
その幸せについて考えて
「ありがたいなぁ」「幸せだなぁ」などと思えるようになれば、
日々幸せを感じられるようになれるでしょう。
「幸せだなぁ」と思うことが習慣になれば、
幸せを感じて生活できるようになり、
「自分は幸せ」と思えるようになれるでしょう。
幸せを感じられるようになるために
「幸せになる」ということは、「幸せを感じて暮らせるようになる」ことだ と思います。
幸せそうに見える人でも、本人が幸せを感じることがなく、「自分は幸せ だ」と思っていなければ、その人は幸せではありません。
幸せを感じられない人は、幸せにはなれないのではないでしょうか。
また、一時的にではなく、日常的に幸せを感じられるようになることが重要です。
この実践講座の手始めとして、「幸せを感じる練習」を試していただけたら、と思います。
一日の中で、10分でも20分でもいいですから、意識して幸せを感じる時間をもつようにしてください。
おすすめするのは、歩きながら幸せを感じる練習です。散歩をしながらがいいのですが、通勤・通学の途中でも、買い物に行く途中でもかまいません。
特に決まりはありません。自分なりに少しでも幸せを感じられるように工夫してみていただけたら、と思います。
自分なりの工夫をしてみるのがとても重要なことなのです。
「小さな幸せ」を大切にすることと、素直に幸せを感じ、それをうまく言葉にすることです。
幸せを感じる練習を試してみて、うまくできなくても落ち込まないでください。はじめはうまくできなくても当たり前です。
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試してみて、少しでも幸せを感じられたら、
喜んでください。
これも、とても大事なことです。(やれば簡単にできる人もけっこう多いと思います)